アメトーク春の3時間SP・勉強しまくった芸人を観て思った「質」と「量」のこと

4月2日(木)の「アメトーーーーーーク春の3時間SP」を観た。三本立てのうちの、【勉強しまくった芸人】で、「質」と「量」について、思ったことがある。慶應義塾大学出身のオリエンタルラジオ・中田さんが、勉強は「量」より「質」だ、としたことを受けて、立命館大学出身のプロレスラー・棚橋弘至さんが、「質」より「量」っていう面も否定しきれない、と言った一連の話。

オリエンタルラジオ中田:(一日何時間勉強すればいいのかという疑問に対して、その疑問が「危険」だ、として)一日何時間勉強すればいいのっていうのはなんで危険かといいますと、何時間も勉強すればするほどいいってどっかで思ってるから。違うんです。勉強の時間っていうのは、量より質、大事なのは質なんですよ。(中略)短時間で集中したほうがいい。
(中略)
棚橋弘至:あっちゃんは元々勉強ができてるベースがあってからの量より質なんすね。僕なんかずっともう運動部で、体力はあったんですけど、勉強は、追いつけない人たちにとってはやっぱり量やるしかなくて、僕は一日最高20時間勉強していました。部活をやって勉強を諦めるんじゃなくて、部活を一生懸命やった子たちは体力があるんで、もう、量で追い込む方法も、否定しきれないと思うんですよね。
原文ママ

私も、オリエンタルラジオの中田さんと同意見で、量より質だと思っていた。でも、棚橋さんの意見を聞いて、そういえば、私もかつては質より量だったし、また、新しいことに取り組むとき、誰しも初めは質より量だなということを思った。

棚橋さんの指摘した、「あっちゃんは元々勉強ができてるベースがあってからの量より質なんすね。」は、とても重要なポイントだと思う。素地を作るための質より量、素地ができてからの量より質、だ。

勉強でも、本を読むことでも何でも、慣れないうちは、自分にとってどのように取り組むのが一番心地よいのか、ということを体得する必要があると思う。「素地」と言ったものは、「審美眼」と似ているかもしれない。美を的確に見極める能力のように、自分にとって伸びる糧になるものを的確に見極めて、集中的に強化することができる状態を、素地ができている、と言うことができる。受験勉強でもなんでも実感としてそうだなと思うけど、特に思い浮かんだのは、私が演劇に興味を持ち始めたときのことだ。どういうものを観たらいいのかと思案しているとき、ある教授に「付け焼き刃でもいいからたくさん観ること、いずれ本物の刀になる」と言われた。私はこれを聞いて、右も左も良し悪しもわからないのだから、とりあえずたくさん観てみよう、という気持ちになった。なんだか「良い物だけを観て学ぶべき」という観念が心のどこかにあって、それがちょっと、色々なものを観ることに対するブレーキになりかけていたのだけど、玉石混淆のまま受け入れてもいいのだ、と思い直した。

そうして色々と観ていると、自分なりの判断基準が生まれてきた。判断基準が生まれてくると、量より質にシフトしてくる。というより、量を観られなくなってくる。というのも、一つ観ると、場合にもよるけど、色々と考えることや感じること発展させることが多くなってきて、時間が追いつかなくなってくるからだ。

そういうことから、量より質だ、と思っていたけれど、それだけが真実じゃなかった。量より質にたどり着く前に、質より量を経ていたのだ。そして、量より質だ、と思い込みすぎると、新しいものに取り組むときに視野が狭くなりそうだと思った。どちらに偏重するのもよくないな。