かもめんたるのコントの特徴と動機について

かもめんたるのコントが面白い。

それまでyoutubeなどでも数本のコントは観ていたけれども、初めて舞台上でのコントを観たのは、2014年12月の渋谷コントセンターだった。その時に観た、喫茶店に来る妙な常連客のコント(単独ライブのDVD『下品なクチバシ』に「I脳YOU.」というタイトルで入っている)に、嫌なやつの再現力に凄まじさを感じて痺れた。また、同時に観た、クリスマスの儀式のようなコントでは、とある村が舞台となっていて、過去にこの閉ざされた辺境の村には異人が流れ着くかなんかして文化的な融合を遂げ、独自の文化が形成されたというような背景のあるコントで、彼らのものの見方が表れているように思って共感し興味をもった。

そんなことがきっかけで今年の1月に単独ライブ『抜旗根生』を観に行き、過去のDVDを観、そういう経緯で結局今は、一番好きなコンビだと思うようになった。

■コントの中の人物の動機について

かもめんたるのコントの人物は、存在に説得力がある。その説得力の原因は、その会話にある。かもめんたるは、会話を書く力が抜群に高い。彼らの会話を書く力というのは、動機の描き方に表れる。「あぁ、そもそも会話って、他者とこんな風にかかわることなんだよな」と思ってしまうような動機を彼らは描く。

会話を描くためには、登場人物にそれぞれ会話の動機を設定する必要がある。例えば、店員と客という設定をして、客には、ものを買いに来たという動機、店員には仕事でものを売るという動機を設定する。これは一番単純な動機の設定だ。この動機だけでコントを作ろうとすると、一般的な購買行動をお題にして大喜利のようにボケを入れていくコントになることが多い。「"ボケ”のために"ボケ"ている」という側面の強いコントになる。それはなぜか。この動機は、「コントに登場する人物特有の動機」ではないからだ。どんな人物でも、日常的に持ち得る動機だ。

かもめんたるのコントで描かれる動機

かもめんたるのコントの特徴は、その人物ならではの個人的な動機を持っていて、会話が進むごとに「こういう言葉を相手にぶつけたい。」という新たな動機が連鎖的に生まれていくところだ。

例えば、キングオブコント2013で披露していた、路上アーティストのコント。路上で、書いた言葉を売っているアーティスト(槙尾ユウスケ)と、女(岩崎う大)が出会う。女は路上アーティストを見つける。路上で頑張ってる若者に弱いという非常に個人的な理由で作品を買おうとする。

出会った二人の相容れなさから、次々に台詞が繰り出される。作品を読まずに買おうとする女に対し、アーティストは納得がいかないので読んでから買ってほしいと要請する。内容を読むが全然響かない寧ろ否定したい女、否定的なら買ってほしくないアーティスト、買ってほしくないという意志はどうでもよく金を払いたいだけの女、金を払いたいだけというのはアーティストとして受け入れられない……と言うように。

登場する二人の人物は、相手に対して発した言葉により互いに影響しあっている。一つ台詞を発すると、その台詞によって場の空気が少しずつ変わる。生きもののように変わる。日常生活を送る中で、自分の言った言葉によって、相手を怒らせたり喜ばせたり、場を白けさせたり勘違いが起こったり、そういう、他人と自分が影響しあう場面はある。そういう時の会話は、やむにやまれず言葉がでる。会話を余儀なくされる。そんな、人と人とがかかわる瞬間を、舞台上で再現しているのだ。これは台詞の緊密性が高い、という言葉で表現できるのではないだろうか。強い因果関係が描かれている。相手の反応があればこそ、次の台詞が必然性を帯びて、発される。

人間が対峙した、そのことで、他者へ、関わりたいという衝動が生まれ、相手に言葉をぶつける。生々しく互いに影響し合う。私たちが生きている世界を驚くべき精度をもって、しかも個性的な視点から描写している。驚くべき点は、彼らは、多くのコントを作る中で偶発的にこういうコントが生まれたというわけではなく、彼らのコントのほとんどすべてが、描かれる人物が人間的な強度を持っているのだ。

たとえ数分から十数分という短いコントの時間であっても、こんなに緊密な会話が書けるというのが凄まじい。さらに、コントで描く人間が、他のどの作家にも似ない、強烈な個性を持っている。

■演劇的な魅力

まさに今そこで起こっている出来事を目の当たりにしているかのような再現の面白さは、これは演劇の面白さである。このような上演は、新奇さや、選んだ言葉の面白さだけによらないので、幾度の再演にも耐えうる。「まさに今起こっている出来事を目の当たりにしているかのような再現」、それは、こんな風にして私たちは人と関わっている、ということを何度でも丁寧に思い起こさせるからだ。当事者としてでなく、観客として、客観的に、このように人と関わっているのだ、ということを認知する。そして更に、観客は個人として、登場人物に対して、個人的な感情を抱く。好きだとか、嫌いだとか、共感できるとか、憎いとか、哀れだとか。私は、演劇の面白さは、観客として世界を俯瞰しながら、個人的な感情も持つことができることだと思う。そこにどんな情報があるのか、どんな感情があるのか、客観的に判断しながら、主観的な、個人の感情も揺れ動く。レンズで近くを見たり遠くを見たり、自由自在に眺めるような体験だ。すこし横道にそれるけれど、アリストテレスは『詩学』の中で、感情の浄化(カタルシス)は「あわれみとおそれ」を通じて達成される、というけど、あわれみ=客観、おそれ=主観という役割を果たしているのではないかと思う。

 

かもめんたるのコントは、何度見ても見飽きないし、色あせることがない。そのくらい、他にない強靭さをもったコントばかりだ。最近、YouTubeでこのコントを観た。

www.youtube.com

カップルの関係を描いたコントで、すごく面白い。このコントは、どうやら2009年3月14日~15日に行われた第五回単独公演「とってあげる。」(劇団イワサキマキオだったころ)で上演されたコントのようだ。YouTubeを観ていたら、まだ観たことがないコントがたくさんあったので、興奮している。

また、先日かもめんたるがお笑いナタリーでインタビューを受けていた。

natalie.mu

岩崎う大さんの「ずっと何かを作り続ける人になるんだろうな」という言葉がうれしい。「ずっとこの人の作品を見続けられるのか」と思うと本当にうれしかった。今後、創作においてどういう試行錯誤があるのか、ずっと見続けたい。劇団かもめんたるで書いていく作品もきっと進化し続けると思う。彼らが作るものが本当に楽しみだ。