今年一年のことと、来年のこと

今年はお笑いを劇場に観に行くという趣味にシフトチェンジした、重要な年だった。きっかけは、アメトーークの「ギスギスしているけどキングコングと同期芸人」を見て、お笑いが気になり始めたことだった。

これまでの主な趣味は、演劇(主に小劇場演劇)と歴史・歴史小説を読むことだった。演劇は以前と比べると、見る本数も少し減ってはいた。自分が見ることを選択している演劇の種類のせいもあるけれども、私はここのところ、演劇を見るときの態度として、面白いと思うポイントを自ら探しに行くような、物語の解釈も能動的に行うような楽しみ方をしていた。そして歴史を学ぶという趣味も、同じく歴史的事実の中に、物語を自ら探し求めたり、歴史小説であっても、歴史を振り返りながらこの小説はどのような解釈で描かれているのかを楽しむような、こちらも自分の能動的な態度を求めるような楽しみ方をしていた。これは面白いことではあるのだけれど、そういった態度に少し疲れが出てきていたのかもしれない。そういう点を踏まえて個人的に分析してみると、お笑いには観客を笑わせるという向こうからの働きかけがあり、前述のような自分から積極的な働きかけによって得ていた演劇や歴史の楽しさとは逆の面白さがあったので、反動もあってか興味を引かれたのではないかと思う。

きっかけがアメトーークだったこともあり、しばらくはテレビのバラエティ番組でのお笑い芸人の活躍に注目していたのだけれど、元々演劇が好きなこともあって、お笑いライブを観に行くということに比重が傾いてきた。しだいに、お笑いの楽しみはネタを中心とするようになり、気になる芸人さんもテレビタレントとしてということよりも、コント・漫才の作り手・演じ手としての興味が主となった。これが私の2014年の大まかな流れである。お笑いについては、過去に爆笑オンエアバトルがとても好きだったこともあって、その当時活躍していた人についてはよく知っていたけれども、2000年以降に結成された芸人さんは全く知らなかったので、先入観のない状態で楽しめている。

そんな、今年からお笑いライブというものを能動的に観に行った人間として新鮮に思うことは、単独ライブのレベルの高さだ。単独ライブは、一つの公演として、演劇との垣根を感じない舞台表現だということを思った。しかしながら、私自身のアンテナの弱さゆえかもしれないけれど、演劇を中心に見ていた時は、お笑いの単独ライブというものを演劇と同じ感覚で観に行くという発想がなかったし、また、例えば公演の折込チラシ群を見ていても、単独ライブの公演のチラシはほとんど見かけることがなかった。私は演劇を観る客層と、単独ライブ(ひいては単独ライブのみならず、いわゆるお笑いライブ)を観る客層はもっと重なってもいいと思った。

ここからは所感であって、具体的な根拠のある話ではないけれども、「こういう印象を持っている」ということを書いてみたいと思う。お笑いの一つの動きとして、単独ライブのみならず寄席的なライブであっても、他の舞台表現に比べて、チケット代が安いという意識と、それを変えたいとする動きがあるように感じている。お笑いのライブの客層は若い層のイメージがある。そういう層が中心であれば、チケット代が高くなると来れなくなるのかもしれない。勝手な想定であるが、そういった層は「テレビとお笑い」を楽しむ層のように思える。演劇を楽しむ層、特に小劇場演劇を楽しむ層は、もう少し年齢層が高い印象がある。(いわゆる"観劇おじさん"という層もある。)私は内容から鑑みて演劇と同じ感覚で楽しめるものだと感じたので、演劇を観る層は「演劇とお笑い」を観る層へ移行していくことができる気がする。この層は、舞台表現を観ることの対価としてある程度のお金を払うことに対してのハードルがない層なのではないかと思う。演劇とお笑いの垣根がなくなっていけば、お笑いライブのチケット代の問題も解消していくのではないだろうか。(「演劇」とひとくくりに書いてしまったけれども、私が想定したのは、日生劇場や帝国劇場に行く層ではなくて、こまばアゴラ劇場東京芸術劇場、または下北沢へ足を運ぶ層だ。)

これもまた単なる個人的な印象ではあるけれども、お笑いという表現のジャンルのこれからは眺めていくのに面白い動きを見せていくのではないかと思う。

来年一年も飽きずに眺めたい。また、このブログに思ったことを書いていきたい。