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9月〜12月10日までに観たものについて(2016年9月-12月10日)

かもめんたる 演劇 犬の心

キングオブコント後に一度もブログを更新していなかった。9月〜12月10日までに見たもので一言書いておきたいものについて。

10月7日『主人がオオアリクイに殺されて1年が経ちました』@俳優座劇場

かもめんたるが出ているので観に行った。観る前から、面白いと思えるものではないと充分にわかっていたけど、かもめんたるがどんな演劇に出て、どのようなことになっているのかは、演劇とお笑い、特にかもめんたるが好きな自分にとっては、観たくなくても観なければならないと思った。冒頭のシーンが始まって、まずは槙尾さん含め半数以上の役者が登場。何一つ面白いところがなくて、というより面白くないところしかなくて、血の気が引いてしまった。槙尾さんは、周りの環境に馴染むのが上手そうなので、想像の範囲内だった。う大さんがこの空気の中でこれから登場するということが、私が好きなかもめんたるが、私にすら面白くないように見えてしまうのではないかということを想像して、血の気が引いていた。そしてう大さん含め残りの役者が登場した。う大さんはう大さんなのだった。あの雰囲気の中でも、傷つくことなく揺るがない魅力があって安心した。う大さんのつくる空気だけ面白く思えた。それにしても、かもめんたるレベルの俳優がこんな演劇に出るということがおかしい。チョイスを間違えていると思う。かもめんたるというブランドに傷がついている。かもめんたるは演劇を作ることを志しているものの、演劇を選ぶ眼力がないのだと思う。というか、能動的にあまり観ていないのだと思う。もっと観て、自ら選ぶべきだと思う。もしくは、作ることにこんなにもまっすぐな人たちでも、こういうものに出なければならない事務所とのしがらみがあるのだろうかと思うと悲しい。

10月9日テスト・サンプル06『ひとりずもう2』@早稲田小劇場どらま館

二回目の「ひとりずもう」。サンプルの俳優のショーケースであり、「一人芝居」であることから笑いとも切り離せない演目が多数。今回は特に奥田さんの禁欲的な演技が面白かった。特に序盤はずっと見ていられるディテール。好みから言うと、終盤の方で守護霊の話になった時に、観客と共有しやすい「おかしさ」に歩み寄ったような感じがして、ちょっと大げささを感じて、もっとささやかな違和感の「おかしさ」のレベルでもっと見ていたかった。古屋さん、松井さんのは、前回より観客に歩み寄って、より、自ら笑いを起こそうとしているようにも思えた。ふたりとも、おかしなできごとを引き起こしているのにもかかわらず、本人は大真面目なのだから可笑しい。野津さんの演目は、チェルフィッチュ的な手法を工夫なくそのまま借りてきたように思えて、特に面白くは思えなかった。辻さんの演目は、いかにもありえそうな生活の生々しさが好きで面白かった。『ひとりずもう3』、またぜひやってほしい。

10月27日『来てけつかるべき新世界』@KAAT

学生時代に観て、あんなに面白かったヨーロッパ企画を、あまり面白いと思えなくなってしまっていた。これは、ヨーロッパ企画が面白くなくなっているのではなく、私の好みが変わってしまったのだ。一つ一つの演技が大きく見えて、台詞の不自然さが気になってしまった。クサイ演技だと思ったのだ。大げさだなと思ってしまったのだ。そんな点をあげつらうものではないことはわかっているけど、そういう自分の好みが細分化していることについて、本当にいいことなのかな、と思った。

11月14日新聞家『揃う』@Arts Chiyoda 3331

初めて新聞家を観た。途中寝てしまった。寝てしまったので大きいことは言えないけど、とはいえ印象だけ書いておこうと思う。私はよく演劇を観ていて、これって俳優を使って演劇という表現方法で観るべきものなのだろうか?と思うことがある。新聞家の上演は、台本を読めばいいのでは、と言える気がしたけど、これは演劇で観るものだと思った。自由な速度で自由な抑揚をつけて勝手に台本を読むという体験とはまったく異なる、俳優からもたらされる細い細い表現で受け取り、受け取った情報から観客が想像を膨らませてしまうという手の加わった自由さ(不自由さ?)、みたいなものと、読み飛ばしてしまいそうな小さな表現も必ず受け取らせる不自由な速度が、演劇体験の時間だなという感じがした。そういう点で面白く観た。ファイヤーキングのカップ、とか、九谷焼のカップ(だったか?)、とか、ブラウンの時計、とか、固有名詞が多く出てきた。そのあってもなくても良いと思えるような固有名詞が、私はなんだか鼻についた。なんだか衒いを感じてしまった。このことは私のとても個人的な感傷かもしれない。もう一度観に行こうと思った。

11月18日マレビトの会『福島を上演する』@にしすがも創造舎

空気を吸うように自然な気持ちでとてもおもしろく観た。好みに合うということはこういうことだと思った。毎日違う演目を上演したようだけど、この日しか行けなかった。俳優の演技からもたらされる情報が少なく、のめり込まずに観る、観察するように観る、この引いた感じが好きだった。「湯気、道くさ」とか「笑い声」とか、劇中の当事者にとっては大問題だったり、ただの日常だったりすることが、観ている人にはおかしく思えてしまうような距離感が好きだった。

12月3日犬の心単独ライブ『新宿ひと吠え』@ルミネtheよしもと

ルミネtheよしもとは漫才のための劇場設計だと思う。コントを観るには客席に傾斜が少ない。椅子に座って会話が進むコントなんて、場所によっては演技が見えない。いいなと思う劇場で感じる、空間のギュッとした感じもまったくない。犬の心の単独ライブ『新宿ひと吠え』は、面白かった。けれども、これまでの素晴らしい単独ライブの数々を思い起こすと、とても物足りなさを感じてしまう。コント1つ1つの完成度だけではなく、体験として「とても良かった!」と感じる満足には、一つの公演としての完成度が必要なのだ。フライヤー、パンフレット、映像に至るまで、一つの公演として一貫したデザイン。劇場という場所のもつ密度!複数公演!こういったことは複合的に公演としてのクオリティを格段に上げていると思う。そして犬の心はそれだけの人がかかわって作り上げる公演で観る価値のある数少ない素晴らしいコントを作っている。私はタレントの知名度でチケットを払うのではなくて、公演としてのクオリティの高さに5,000円でも6,000円でも払いたいと思います。

9月〜12月10日は他にもたくさんのものを観ました。映画は4本、演劇は26本、お笑いは24本。つまらなすぎて悪口を書きたい衝動の公演もたくさんあります。でも、そんなことを書くべきなのか、迷って書かずにいます。好きだから書ける「面白くなかった」ではない、好きでもないし面白くなかったという感想を書くべきなのかどうか。(さすがに悪口を書かないまでも。)